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第一次世界大戦中に、国籍に関係なく文化の違う戦場兵士たちを介抱したことから、平和な世界でも文化の交流を続けようと始まったAFS、留学生を送り出す団体としては日本では最大規模で歴史も古い(今年で59年目)のです。例えば元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏はAFS留学生だそうです。今年は中部地区からはRくん(高3)を含む4名の選ばれた高校生がアメリカとフランスへ出発するそうです。今日は4名のOB/OGと今年出発の2名の高校生が話をしてくれました。OB/OGたちはみな今は大学生で、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリア、ドイツへ留学した経験談をスライドと一緒に発表してくれました。大学生で留学するのとはまた違って、ホームステイが主なのです。AFSはそのホームステイ先のファミリーはボランティアなので商売としてやっているファミリーがいないことが大きな安心となっているような気がしました。ちなみに今回の説明会を主催した静岡支部のYさんも東京から駆けつけたOB/OGも全てボランティアです。しかし、文化の違い/育って来た環境の違い等からどうしても合わないファミリーもあるようで、そのような時は一人一人面倒を見てくれている現地のAFS担当に相談してファミリーチェンジをするそうです。それもひとつの経験ですね。アメリカに留学した女性(Iさん:藤枝市出身)は中学1年生の夏に1ヶ月ホームステイに行ったものの高校は「ゆっくり高校生活を楽しもう」と考えていたが、夏休み、妹がアメリカにホームステイに、両親はハワイに遊びに行ってしまって一人家に取り残されてしまい「私も行きたーい」ということになったとのこと^^ また、家はAFS留学生を受け入れるホームステイファミリーになっていたので、自然に留学できる環境にあったようです。「留学先ではなるべく日本には連絡をとらず、取る時でも英語でメールを書く、友達にも英語でメールを送ってもらうようにお願いし、日本大好きだったホストファミリーの家では日本語の歌が聞こえてくることがありそれがどうしてもイヤでファミリーチェンジをお願いしたんです」と言っていました。せっかく留学させてもらっているのだからとことんやってみようと覚悟したのでしょうが、かなり強固な意志ですね。また、ドイツに留学した男性(Nくん:S高出身=Rくんの先輩で、現在、慶應理工学部=私の後輩^^)は高校では留学を反対されたようですが、意志が固く振り切って留学&1年後元の学年に戻り大学受験に向けて必死で受験勉強したそうです。「それだけの気持ちがあったからできたんです」と、きっと今も自分の意志に忠実にチャレンジし続けているのでしょう。とても堂々としていました。去年9月ドイツ・アーヘン工科大学に留学中の慶應理工学部大学院生を訪ねた話をしたら「ああ留学制度があるようですね」と。学部4年の彼も大学院で留学するのかもしれません。「ヨーロッパの魅力は陸続きなのでドイツ周辺の8カ国くらいは旅行したりしましたよ」と言っていました。現地に来ている留学生とも友達になるので一気に世界中に友達ができるのも魅力的です。ご両親から離れて一年間他の家族と一緒に過ごし学校に通い、かなりの冒険ですがそれをやり遂げた子どもたちが成長しないわけがありません。素晴らしいチャレンジですね。最後に、反対に海外の留学生の受け入れについても聞いてきました。前述のIさんのお母様は「お客さんではないので自分の子供のように考えます。特別なことをしていたら1年間も持ちませんからね。」とおっしゃっていました。何がきっかけで子どもたちが留学したいと思うかはわかりませんが、Iさんのようにごく自然に留学が生活の中にあったタイプも、Nくんのように自らの好奇心で進んだタイプもあります。また、留学生を受け入れたことがきっかけになるかもしれません。しゅうびでは小さなきっかけも大事にして子どもたちがチャレンジしたくなる情報提供や環境作りを心がけています。
*1年間、日本で過ごした世界各国からの留学生が帰国前に書き残した文集を頂きました。ひらがな/漢字/カタカナを使った作文にビックリしました!自分が行けばこの逆のことが起こると考えると・・・しゅうびに置いておきますので是非ご覧下さい。 |
16:18, Sunday, May 29, 2011 ¦ 固定リンク
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